こんにちは、ゆきです。
誰かを助けたい、力になりたい。そう思って動いたのに、気づけば自分がボロボロになっていた。
そんな経験はありませんか?
善意そのものは悪いものじゃありません。でも、善意の「量」だけで動き続けると、いつか続けられなくなります。
今回は、私が動物の保護に関わる中で気づいた、「助ける」ことの本当の基準についてお伝えします。
「できることは全部やらなきゃ」とは考えない
動物保護の世界には、寄付、継続的な支援、ボランティアなど、色々な関わり方があります。
どれも否定するつもりはありません。実際に助かっている命があるのも知っています。
ただ、私は「できることは全部やらなきゃ」とは考えません。
世の中では、キャパシティを超えて動物を引き受けてしまい、世話が行き届かなくなる「多頭飼育崩壊」のようなニュースを目にすることがあります。
命を預かるということは、それだけ重い責任を伴います。だからこそ、継続的に良くしていける見通しが立たないまま関わり始めることはしません。
基準にしたのは「善意の量」じゃなく「続けられるか」
今の私が助けるかどうかを決める基準は、シンプルです。
「自分の手の届く範囲で、自分が頑張る限り続けられるかどうか」。
見通しが立たないものについては、「今は自分が助けられる状態ではない」と判断することがあります。
これは冷たさじゃありません。頼る・頼られる関係の将来が見えないまま関わり始める方が、結果的に無責任になると考えているからです。
助ける前に、自分に何を聞けばいいのか?
何かを引き受けようとする時、私が自分に聞くのは「これは、この先も続けられることか」という一言だけです。
一時的にはできそうでも、時間・お金・体力・生活のどれかを超えて背負うことになるなら、それは責任を持てる範囲を超えています。
無理に引き受けて途中で続けられなくなる方が、最初から関わらない選択より、お互いにとって苦しい結果になることがあります。
自分の範囲を自分で決めるという考え方は、こちらの記事で書いた自尊心の再構築にも通じています。
「一時的にできること」に惑わされない
厄介なのは、「今だけなら」できてしまうことです。
一時的な体力や時間の余裕でこなせてしまうと、それが「続けられる」ことだと錯覚してしまいます。
本当に見るべきは、来月も、半年後も、同じペースで続けられるかどうかです。
今日1日だけの頑張りではなく、続けた先の生活まで想像してみる。それだけで、引き受けていいものと、今は見送るべきものの輪郭がはっきりします。
まとめ:引き受ける範囲は、自分で決めていい
誰かの力になりたいという気持ちは大切にしていい。
ただ、それを「善意の量」で測るのではなく、「自分が続けられる範囲か」で測ること。
今、何かを引き受けようか迷っているなら、一度「これは続けられることか」とだけ、自分に聞いてみてください。
猫たちとの生活を大切にする中で、家を傷つけずに快適に共生するための工夫を1冊にまとめました。命を預かる責任と向き合ってきた日々の記録が、同じように何かを引き受けるか迷っている方のヒントになれば嬉しいです。猫住ゆきの著書『猫の爪とぎ・噛み癖 解決の聖書』
今の自分の状態を、1つの質問で確かめてみませんか?



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